葉っぱの渋滞を眺めながら、私は自分の居場所を考えた

マインド

図書館の学習室で、思考を整理したり、文章を書いたりしていた。

8月の最終週。
午後4時頃。

窓の外には、雲ひとつない青空が広がっていた。

少し疲れたので、椅子から立ち上がって伸びをする。
何気なく窓の外に目をやると、2階の窓とほとんど同じ高さに、木の枝が伸びていた。

風に揺れる葉っぱ。

先端には、明るくて若々しいライトグリーンの葉。
少し下に目を移すと、緑はだんだん濃くなり、葉も大きくなっていく。

しばらく、ぼーっと眺めていた。

すると、ふと思った。

人間みたいだな。

というより、
人間も、こういうものなのかもしれない。


若葉は、何も知らないから伸びていける

一番先にある若い葉っぱは、まだ小さい。

細い枝の先で、風に揺られながら、ただ太陽の方へ伸びている。

その先には、何もない。

何かに遮られることもなく、
「ここまでにしておこう」と止めるものもない。

ただ、伸びている。

それを見ていると、なんだか自由に見えた。

まだ何者でもないからこそ、
どこへでも行ける。

人間でいえば、これから人生を始めていく人たちなのかもしれない。


その下には、すでに居場所を持つ葉っぱがある

少し下を見る。

そこには、若葉よりも濃い緑色をした葉っぱがある。

大きく、力強い。

枝も複雑に分かれ、下へ下へと続いている。

すでにある程度の場所を確保しているようにも見える。

「私はここにいる」

そんなふうに、静かに存在している。

その姿を見ていると、自分より上の世代の人たちを思い浮かべた。

親世代や、それより上の世代。

長い時間をかけて自分の居場所をつくり、そこから簡単には動かない。

それは、窮屈という意味ではない。

むしろ、長い時間を生きてきたからこそ得られる安定なのだと思う。

根を張り、枝を伸ばし、次の世代を支える。


では、私はどこにいるんだろう

そこで、少し妙なことを考え始めた。

自分は、この木のどこにいるんだろう。

若葉ではない。

かといって、すでに大きく茂った葉でもない。

たぶん、その間くらい。

まだ動ける。

けれど、どこへ向かうのかは決まっていない。

同じ高さには、似たような葉っぱがたくさんある。

それぞれが枝につながっているのに、なぜか混み合って見える。

まるで、葉っぱの渋滞だ。

「私はここでいいのかな」

「もう少し先に行った方がいいのかな」

「この場所で安定するべきなのかな」

そんなことを考えながら、自分の居場所を探しているように見えた。

……なんだか、今の自分そのものだった。


同じ場所にいても、向かう先は違う

さらに眺めていると、不思議なことに気づいた。

同じくらいの位置にある葉っぱでも、伸びている方向が違う。

ある葉は、その場にしっかりと広がっている。

「ここでいい」と言っているように見える。

一方で、別の葉は若葉の方へ向かって伸びている。

まだ先へ行こうとしている。

年齢が同じくらいでも、
置かれている場所が似ていても、
その先にある人生は同じではない。

人間だって、きっと同じだ。

同じ年齢。

同じような環境。

同じような仕事。

同じような生活。

それでも、ある人は「ここで生きていこう」と思い、別の人は「もう少し先へ行きたい」と思う。

どちらが正しいわけでもない。

ただ、それぞれが自分の枝の上で、伸びる方向を探している。


風が吹いた

そんなことを考えていると、風が吹いた。

さっきまで別々に見えていた葉っぱたちが、一斉に揺れた。

若葉も。

大きな葉も。

渋滞しているように見えた中間の葉も。

「ここにいる」と場所を決めたように見えた葉も。

みんな同じように揺れている。

その瞬間、妙に腑に落ちた。

どこにいるかなんて、外から見たら、それほど重要ではないのかもしれない。

若葉には若葉の風がある。

大きな葉には、大きな葉の風がある。

まだ居場所を探している葉にも、同じように風は吹いている。


私たちは、ずっと「途中」にいる

私は、自分が今どこにいるのかを気にしすぎていたのかもしれない。

もう少し先に行かなければ。

もっと安定しなければ。

同世代の人たちは、もっと先に進んでいる。

私はまだ、自分の居場所を見つけられていない。

そんなふうに、自分の現在地を測ろうとしていた。

でも、木を眺めていると、

そもそも「現在地」なんて、固定されたものではないのだと思えてきた。

葉っぱは、ただそこにある。

風が吹けば揺れる。

太陽が当たれば光を受ける。

季節が変われば色が変わる。

そして、いつか落ちる。

その葉っぱが「私は正しい場所にいたのだろうか」と悩んでいる姿なんて、少なくとも私には見えない。

ただ、その時々で生きている。


私も、今ここで風を受けている

そう考えると、少しだけ肩の力が抜けた。

今の私は、まだ途中にいる。

どこへ行くのかも、完全には決まっていない。

迷うこともある。

同じ場所で立ち止まっているように感じることもある。

周りの人が先に進んでいるように見えることもある。

でも、それは「何もしていない」ということではない。

今の場所で、ちゃんと風を受けている。

考えて、迷って、選んで、また進もうとしている。

それだけでも、ちゃんと生きている。

たぶん人生は、
「正しい場所」を見つけることではなくて、

その時々の自分がいる場所で、どんなふうに生きるかを選び続けることなのだ。


いつか、葉っぱは土に還る

木を見上げる。

複雑に分かれた枝の先には、無数の葉っぱがある。

その葉っぱを支えている枝があり、
枝を支える幹があり、
その幹を支えている根がある。

そして、その根は土の中へ続いている。

今ここにある葉っぱも、いつかは落ちる。

土に還り、また次の生命につながっていく。

そう考えると、人生もずいぶん大きな循環の中にある。

私たちは、自分一人で突然ここに現れたわけではない。

たくさんの人の人生の先に、今の自分がいる。

そして自分もまた、誰かの次の世代につながっていく。

そう考えると、

「私は今、どこにいるんだろう」

という問いも、少し違って見えてくる。

私は、木の途中にいる。

まだ若葉でもなく、成熟した葉でもない。

ただ、今この瞬間に、ここにいる。

それでいい。


窓の外を見る。

雲ひとつない青空。

葉っぱが風に揺れている。

さっきまで「渋滞している」と思っていた葉っぱたちも、今はただ揺れている。

私もきっと、同じなのだ。

迷っていても、
立ち止まっていても、
どこへ行こうとしていても。

今日もちゃんと、風を受けている。

そして、いつか自分の季節が終わるその日まで、
この枝の上で、もう少しだけ揺れていようと思った。

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