「自分らしく、心地よく暮らしたい」

そんな想いから日本を離れ、カナダでの暮らしをスタート。
感情と丁寧に向き合うこと、日々の暮らしの中で小さな幸せを見つけることを大切にしています。

このブログでは、暮らし・マインドセット・海外体験を軸に、
等身大の葛藤や気づき、そして心がふっと軽くなるセルフケアや行動のヒントを発信中。

誰かの「今」を照らす小さな灯りになれたら嬉しいです。

#2|SNSで見えた羨望の正体と、わたしの〈欲望のかたち〉

SNSを眺めていると、ふと胸がざわつくような感情に出会うことがあります。

それは羨望とも、嫉妬とも、焦燥ともつかないような感覚です。
誰かの投稿を見て、胸の奥がチクリと痛むとき、わたしたちは何を感じているのでしょうか?

今回の記事では、私自身がSNSを通じて感じた「羨望」の正体を掘り下げながら、
その背後にある〈欲望のかたち〉について考えてみたいと思います。

「わたしも、ああなりたい」その気持ちはどこから来る?

旅先の美しい風景、ノマドワークの自由な働き方、アートやファッションを通して自己表現をしている人。
そんな投稿に触れるたび、私は心のどこかで「いいなあ」「羨ましいな」と感じてきました。

でもその感情は、単なる他人への賞賛ではありません。
もっと深いところで「わたしも、そうなれるはず」「そうありたいと思っている自分がいる」と気づかされる瞬間でもあります。

たとえば、「旅をしながら働く人」の投稿に強く惹かれた時期がありました。
当時の私は、自由な働き方と経済的自立が両立することなど現実的ではないと感じていました。

でも、その投稿に惹かれたのは、本当はどこか自分の中に「自分にもワンチャンできるのではないか?」という想いが眠っていたからだと、今ならわかります。

わざわざ自分自身の感情が動き、サインを出しているから自己理解のきっかけになるのではないかと考えたのです。

そして、なぜそう感じたのかを自分自身で見つめる機会を自分に与えました。

SNSが映し出す「理想」と「今の自分」

SNS上で感じる羨望の感情。
その正体は、実は“自分自身が叶えられる可能性がある理想像”と捉えていることが根元にあるのではないかと気づきました。

つまり、心がざわつく投稿というのは、自分の欲望が反射している“鏡”のようなものなのです。

一方で、投稿者に対して否定的な感情を抱いてしまうときもあります。
皮肉や怒りのような感情。
それもまた、「本当は自分も欲しいと思っているけれど、まだ手に入れられていない」理想が隠れているサインだったりします。

心理学でも、わたしたちは「自分の中にあるが、まだ実現されていない要素」に反応する傾向があるといいます。
哲学的に言えば、他者は常に自分の“影”や“投影”として作用する存在です。

「投稿する自分」に潜む恐れと欲望

それは見る側だけではありません。

自分がSNSに投稿をするときも、無意識に他者の目線を意識してしまうことがあります。
誰の視線を気にしているのか、どんな反応を恐れているのか。
それはつまり、私が社会に対して持っている“恐れ”の反映でもあるのです。

たとえば、「自分らしく発信したい」と思いながらも、「ちゃんとして見られたい」「批判されたくない」という気持ちがよぎると、結局ありきたりな内容に落ち着いてしまうこともありました。

でも、あるときから意識が変わり始めました。
SNSを「自分の理想をかき集めるためのツール」として捉えるようになってから、
自分の反応や感情を、より丁寧に観察するようになったのです。

この感情も逃さず自分で認識して考察することも非常に大事なのではないかと感じます。
他人に見られたい姿や鎧のようなものとどのようにうまく付き合うのかを知ることで、自己理解へまた前進できるでしょう。

羨望は、行動のサイン

羨ましい、憧れる――その感情を無視したり、打ち消そうとしたりする必要はありません。
むしろ、「なぜ惹かれるのか?」「なぜダークな感情を抱くのか」を深堀りすることが、
自分の〈欲望のかたち〉を知るための大きな手がかりになるのです。

「自分もできるはず」と思ったのなら、その感情はすでに、理想への準備ができている証でもあります。
本当に欲しいと思うのなら、あとはそこに向かって動き出すだけ。

逆に、「やってみたいけど羨ましいだけで終わりそう」と思うのなら、
それは自分の“憧れ”と“現実”との間に、まだ明確な覚悟が育っていないのかもしれません。

そして、心がときめきく事柄、卑しい気持ちになる事柄の裏には、自分の成し遂げたいことの像が映し出されており、それまでの距離感を各感情を分析することで把握できるるのではないでしょうか。

各感情の考察から始め、それを実現するために必要な筋道を逆算する。
そんなこおもできてしまうかもしれません。

他人という鏡を通して、自分の願いを見つける

前回の記事では、理想の恋人に惹かれた背景には「自分がなりたい姿」があったことに気づきました。
今回のSNSでの体験は、それとはまた違った形の投影です。

恋人という“身近な存在”には、自分に足りないと感じていた要素を写し出していた。
一方で、SNSという“他者の集合体”には、自分も手を伸ばせば届くかもしれないという希望と可能性が投影されていたのです。

今もまだ、私は探している最中です。自分が本当に望む働き方、生き方、暮らし方。
SNSの中で感じる羨望や不安は、その都度わたしの中の〈欲望のかたち〉を照らし出してくれます。

だからこそ、私はこれからもSNSを“他人という鏡”として見つめながら、
静かに、でも確かに、自分の理想を紐解いていきたいと思っています。


あなたの体験談も聞かせてもらえると嬉しいです。

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