「自分を知ること」が、こんなに力になるなんて思わなかった。
何者でもない、ただの自分として生きることが、どうしてこんなにも難しかったのだろう。
そこから始まった、自分との再接続。
表面的な“自己肯定”ではなく、もっと奥深くから、「私は私のままでいい」と思える感覚がじわじわと芽生え始めた感覚に気づいた今だからこそ書けることを、綴っていきます。
「I am」「I can」「I will」── 3つの自己感情
最近、ふと自分の内面を表現するとき、3つの英語がしっくりくると気づいた。
- I am(わたしはここにいる)=自尊心
- I can(わたしにはできる力がある)=自己肯定感
- I will(わたしは行動する意志をもつ)=自己効力感
似ているようで、実はまったく違う。
この3つがバランスよく育っていると、人は自然と“manifest”状態──
自分の望みと行動が一致している状態に入っていけるのかもしれない。
似ているようで、実はまったく違う。
この3つがバランスよく育っていると、人は自然と“manifest”状態──
自分の望みと行動が一致している状態に入っていけるのかもしれない。
私は最初、何かを始めるたびに「自信がない」「どうせ続かない」と自分で自分にブレーキをかけていましたが、ほんの少しの「やってみる」を毎日積み重ねていくうちに、
自分の中に「できた」という確かな手応えが残るように変化したのです。
自己肯定感と自己効力感、自尊心の違い
自己肯定感は「I can」に近く、自分を評価できる感覚。
これは、過去の成功体験や他者からの承認で育っていくもので、
私にとっては第一段階のようなものでした。
自己効力感は「I will」、つまり「できるかもしれない」ではなく「やる」と決めて行動に移す力。
これは自己肯定感の上に成り立つものだと、体感しています。
そして、自尊心は「I am」。
たとえできていなくても、誰かに評価されなくても、自分の存在をそのまま大切にできる感覚。
この3つのバランスが整って初めて、自分の人生に自分の足で立つことができるようになるのかもしれません。
小さな成功が生んだ大きな安心
自己効力感が芽生えたきっかけは、自分が「できたらいいな」と思ったことを、実際にやってみたときでした。
たとえば朝のルーティンを整えること、ブログを一つ書ききること、小さな「やってみた」が「できた」に変わった瞬間、心のなかで静かに何かが灯ったのを覚えています。
以前は、物事に取りかかる前から「無理かも」と否定してしまっていたけれど、今は違います。
結果ではなく、「やってみよう」と思える自分を、まずは認められるようになった。
これが大事だったんです。
そして、段々と視点が他者から自分へと移り、
私は次第に「自分を知ること」に対して向き合うようになりました。
静かに本音が動き出した話
自己理解から始めるも、立ちはだかる謎の恐怖
そう綴っている私も実は、ずっと「自分を知ること」を避けていました。
なぜなら、自分を深く見つめることは、怖かったから。
何かを知ってしまったら、変わらなければならない気がしたから。
でも、自分自身を知らないまま生きるほうが、実はずっと苦しかった。
本当の自分が「理想からほど遠い存在だったらどうしよう」
「変われない自分をまた見てしまうのがつらい」──そんな感覚がずっとあったのです。
また、潜在的に自分の本音を公言することで
期待されることへのプレッシャーや、浮いてしまうことへの恐れのような
「他者からの評価」に怯えていたのかもしれない。
それでも、自分という人間に関しての理解を深めるための思考を止めてはいけないと感じて続けていました。
今はむしろ、自分を知ることが最大の味方づくりになると感じています。
たとえ理想の自分でなくても、今ここにいる自分に「うん、いいよ」と言ってあげられる安心感は、どんな結果よりも心強いと今なら言えます。
少し先を行く友人の存在に触れる機会が増えた
ここでちょっと不思議な体験談。
自分自身のモヤモヤが限界を迎え、「何かしなきゃ」と焦っていた頃。
ふと気づけば、少し先を走っているような友人たちが身の回りに集まりはじめていたのです。
これはスピリチュアルに思えるかもしれない。
でも私は、確かに“引き寄せ”が起こっていたとその時を振り返っています。
脳科学的に説明すれば、きっと私の意識が「そういう人・そういう情報」をキャッチする状態に入っていたということなのかもしれません。
しばらく連絡をとっていなかった昔仲が良かった友達と連絡をとる機会ができ始めたのです。
それも一人ではなく複数人と・・・
「わたしも動き出したい」──その想いに蓋をせずにいられた瞬間、
manifestは静かに始まっていたと認識しています。
manifestすることは本音と一致する生き方を導くこと
今、私は日々の行動や選択が自分の内側と外側が一致している感覚を認識できるようになってきました。
無理に頑張るわけでも、無双するわけでもない、
ただニュートラルに、今の自分を信じて歩くことができる日々です。
manifestは、特別なスキルや環境がなければ得られないものではありません。
大丈夫。怖くない。それをやることが、あなた自身の救いになるはずだから。
自分に優しく問いかけながら、小さな一歩を重ねていきましょう。
自己肯定感、自己効力感、そして自尊心。
どれも「私は私でいい」と思えるために欠かせない、大切な感情たち。
昔の私は、こうした言葉を見聞きしても「素敵だな」と思うだけで、どこか遠い世界のことのように感じていました。
でも今、私ははっきりと言える。
「自分の内側と向き合うこと」は、たしかに人を変える力を持っていると。
周囲の目を気にしがちな私がとった“自己ブランディング”という設計
私は昔から、周りの目を強く気にしてしまうタイプでした。
ポジティブなことを語ったり、夢を語ったりすると「痛いと思われたらどうしよう」と不安になったり。
でも、そんな私が行動できた理由は、「周囲に応援してもらえる仕組み」を作ったからでした。
例えば、SNSで自分の小さな挑戦をシェアしてみたり、自分の考えを発信する場所を作ってみたり。
自分が信じられない時には、環境を少しずつ整えることが、勇気の補助線になったんです。
つまり、自己ブランディングは、内面の自信を育てる外的な補助輪のようなもの。
誰かに見てもらうという設計は、怖いけれど、私には必要な工夫だったと思います。
「できた」がくれた静かな自信と、ニュートラルな視点
それは、無理にポジティブになることでも、理想論を語ることでもない。
ただ、誰でもない“わたし”という存在に、そっと優しく寄り添ってあげることです
振り返ってみれば、manifest状態のはじまりは、
「できたらいいな」と思ったことを、本当にやってみた瞬間でした。
そこに他人の評価はなかった。ただ、自分が「やれた」と思える感覚。
それが、思っていた以上に私の中に静かな自信をもたらしました。
否定から入るクセがなくなり、
何かを始める前から白黒つけようとしない自分がいた。
自分のまなざしが「敵」から「味方」になっていた。
今の私は、「大丈夫。むしろ、それがあなたの救いになるから」と言ってあげられる側にいる。
誰かの人生を変えることはできなくても、
ほんの少しだけ、力になれる言葉を届けることはできる。
それがmanifestであり、今の私の「意志=I will」なのかもしれない、そう思うのです。
自分を知るという旅路は、怖くて、痛くて、でも美しい。
その旅を、私はこれからも記録しながら歩んでいきたいと思っています。
ぜひまた覗きに来てくださいね。
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