「このままでいいのかな?」
ふと一人になった瞬間にふいに湧いてくる感覚。
それは“何かを変えたい”というよりも、“このままではいられない”という静かなサインかもしれません。
周りの声と、自分の感覚のズレ

「安定してていいね」「順調だね」「バリキャリだね」
そう言われるたびに、私は笑顔で事実として受け止めうなずいていました。
確かに、仕事もプライベートも“うまくいっている”と見られる状況ではあったと思います。
でも、自分の中の声は少し違いました。
「このまま、この道をただ進んで、本当にいいのかな?」
「私の数年後が見えてしまった気がする」
そんな感情が、静かに、でも確実に積もっていました。
そして「やりがいがある」と「納得している」は、別ということに気づきます。
人間関係にも恵まれ、成果も見える。感謝すべきことの連続でした。
いわゆる「やりがい」を感じながら社会人としてのキャリアを順調に楽しみながら、しんどいときは休み、自分でコントロールしてうまくやってきていました。
でも、なぜか“納得している”という感覚はなく、もやもやに頭を悩ませていました。
そうしてもやもやの原因を考えるようになり、「どこか違う」「自分の興味のある新しいこともやりたい!」「もっとできることがある気がする」
そんな気持ちが、少しずつ強くなっていったのです。
“正しさ”に従うほど、心が苦しくなることもある

私はずっと「正しく生きること」に一生懸命でした。
誰かの期待に応え、求められる役割を果たし、「ちゃんとしてるね」「真面目にやってる」「いつも一生懸命な子」と言われることで安心していました。
でもある日ふと、こんな気づきが訪れました。
今が20代半ばとして、残り40年以上働くのか・・・
そんなに時間があるなら若いうちに許されることしちゃった方が面白い人生になりそう!
素直にそう感じたのです。
また、お仕事は好きでしたが、正直日本の企業システムにおいて納得のいかないこともありました。
そして何より、「日本の企業での働き方しか知らないい大人になりたくない」「将来歳を重ねたときに自分の経験が誰かの役に立つなら私だけじゃなくて周りも幸せにできる!」そんな妄想が私をワクワクさせたのです。
社会で常識とされている“正しさ”のレールに乗り続けることも否定はしませんが、私は私の本音を置き去りにしてしまうかもしれないと思ったときに行動をしていたのです。
第一歩は自分時間の確保

まず初めに行ったことは、自分時間の確保。
日々の業務で土日は無駄にしたくないから遊ぶ、もしくはダラダラしてると言う生活をしていた私は、「自分との予定」を入れるようにしたのです。
”自分時間を作ること”の優先度をMAXにして時間を確保したことが第一歩でした。
ただ、そう簡単にはいかないのも私は経験済みです。なのでここでは私の状況と具体的な方法を共有します。
私は、平日出勤だったので、土日が休みでした。
そんな私はありがたいことに友達も多く、遊びの誘いも退勤後の飲み会のお誘いを受けることも多く基本的に予定がなければOKして喜んで遊んでいました。もちろん何も予定がない日もありましたよ笑
ただ、全て断るのではなく月初や自分の気分でもいいので「ソロデート」とカレンダーに入れておくようにしたのです。
文字通り、自分との予定があるという状態を作り出しました。
そして誘いがあっても、自分が決めた時間と言うのは死守してお断りをしました。
「予定がある」と言うのは決して嘘ではありません。そして断る際は「その日は予定あるけどこの日はどう?」と代替案を提案するだけで相手に悪く思われることはそうそうないかと思います。
厳しいことを言うと、断ってその後関係が薄れるくらいならそもそも友達として今後も長く続くことはないので気にしなくてもいいと思っています。
そして、さらに戦略的に次の手を打ちます。
何をしたかというと、次回も断りやすい仕組みを自分で作ることです。
具体的には、周囲に「一人の時間を大事にしている人間である」と言う印象を与える発言をしていたのです。
例えば、会社では帰ってからの一人時間が幸せなんだと言うような発言をしたり、仲の良い友人には会うときに自分のための日を作ることにしたと宣言してみてもいいかもしれません。
何度も言いますが、それで気分を悪くするような人はほとんどいません。私は一人もいませんでした。
互いの利害関係でしかない関係であれば話は別かもしれませんが。
時間を確保することに成功しただけでも素晴らしいことであり、価値が非常に高いことなので、できた自分をとことん褒めてあげましょう。
“心が踊ること”の模索

自分の時間を設けることで、自分の心がときめくことに対して時間を割くようにしました。
ここで述べている自分時間では極力SNS(メッセージも含む)に触れないようにするようにしました。
代わりに何をしたかと言うと自分の知識が広がるコンテンツに触れること、アクティビティをすることなどを実践しました。
ポイントは知的好奇心を探ることです。
たとえば:
- Youtubeで学習系チャンネルを見る(大人になってからの学び直しをしてみる)
- 一人でカフェに行く
- 自然に触れてみる
- 運動をしてみる(軽い散歩でも十分です!)
- 料理をする、絵を描く、楽器を弾くなど
- 少しだけでも、自分の気持ちをノートに書き出してみる(「こう思われたい」よりも「本当はどう感じてる?」と問いかける)
このようなことをすると、自分の関心がある事柄に関しての気づきが出てきます。
私の場合、歴史や語学の学び直しに対して時間を割くことが苦ではなかった、創作活動が楽しかったなどの発見がありました。
そしてその自然にやっていることを見つけ、なぜそれに今関心があるのかを探ると、自己実現欲求が見えてくるのです。
つまり、誰にも見られてもいないし、評価もされない、ただ自分の心が求めるものをかき集めて、そこから、「なりたい自分」「こうなったらいいな」を見つけるヒントを得ることができるのです。
「将来のことは今決めなくていい。ただ、今の自分に正直になるだけでいい」
そう思えたとき、世界の見え方がほんの少し変わりました。
行動する前に、心が決まる瞬間がある

変化には、劇的な“行動”が必要だと思われがちです。
でも、私の実感は少し違いました。
「まだ何も変えていないけれど、もう元には戻れない気がする」
そんな静かな確信が、ある日ふと生まれていたんです。
それは、“決意”というより“自然な変化”。
無理して決めたわけではないけれど、心はもう別の場所を向いていました。
寿命はみんなある。この世からいなくなるのであれば与えてもらっている時間をもっと自分は自分のために使おう!他の人もそうしてるのだから。
自分の理想はなんだ?
一度きりしかない人生でどんな人間でありたいのか?
そんな問いを考え続けることが癖のようになってくると、もう心はその方向に自然と向かい、日々収集する情報も自分好みになっていき、習慣が続くことで過去の自分から見たら「行動している人」になっていたのです。
何の気合いも、決意も特にしていないです。そして同じ気持ちの人がいればぜひハードルを下げて考えてほしいなと思うばかりです。
“変化”は、いつだって静かに始まっている

何も変わっていないように見える日常の中で、
私は少しずつ、自分の本音に気づく練習をしていたのかもしれません。
「動けない自分」も、実はちゃんと前に進んでいる。
そう思えたとき、ようやく“変化”を信じることができた気がします。
自分のために時間を設け、心の声に耳を傾けたことで新たな発見がありました。
もしもあなたがもやっとした気持ちを抱えているのならば
ぜひ自分に「空白」の時間をプレゼントしてあげましょう!
また次の記事も覗いてみてくださいね!
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