朝のバスで起きた、心を震わせる出来事
ある朝のこと。
街を走るバスに乗り込んだ直後、後ろから小さな声で呼び止められました。
振り返ると、そこには若い女性が立っていて、真剣な表情でこう告げてくれました。
「あなた、今あの男の人に写真を撮られたよ。もし不快に思うなら、声を上げたほうがいいと思う。必要なら、私を介してでも言ってあげようか?」
予期せぬ言葉に、心臓が一瞬止まったような感覚になりました。
私は肌の露出が多い服を着ていたわけでもなく、撮られたのは横顔だけ。
でも、彼女の「見て見ぬふりはできない」という真っ直ぐな姿勢と、もしその写真が悪用されたら…という不安から、思わず「はい、お願いします」と口をついて出てしまいました。
18歳の勇敢な魂が見せてくれたもの
その女性は迷うことなく運転手に状況を説明し、撮影していた男性に削除を求めました。
男性は渋々応じたものの、画面の一部を隠すような仕草を見せ、あからさまに視線を逸らしました。
彼女はその微妙な態度を見逃しませんでした。
再び運転手に「完全には応じていないようです」と冷静に伝えます。
運転手が本部に連絡を取ると、公共の場での撮影は「被写体本人の直接の訴え」がなければ措置は難しいとの回答でした。
「警察に言うこともできるけれど、それはあなたから直接じゃないと対応できないって。どうしたい?」
彼女の声には、私を責めるようなトーンは一切ありませんでした。
ただ、私の意思を尊重し、最後まで寄り添おうとする温かさがありました。
私は事を大きくしたくないと思い、意を決して男性に直接削除を求めました。
その後、男性は渋々削除し、バスを降りて足早に去っていきました。
削除後の画面には、別の女性の写真も映っており、この男性が他にも不特定多数を撮影していた可能性が高いことがわかりました。
静かに広がった温かい連鎖
満員のバスの前方での出来事だったため、多くの乗客が見守っていました。
近くにいた年配の女性は私の肩にそっと手を置き、
「怖かったでしょうね。でも声を上げたのは正しいことよ」と優しく声をかけてくださいました。
そして運転手には「あの男性、以前から様子がおかしいと思っていたのよ。ちょっと警戒はしておいた方がいいわ」と情報を伝えてバスを降りていきました。
終点に近づいて人が減ると、助けてくれた女性と少し話すことができました。
「父がね、『女性として困っている女性がいたら、必ず助けるように』と言って育ててくれたの。だから当然のことをしただけ。見て見ぬふりなんてできなかったの。」
その言葉を聞いた時、私の心は深い感動に包まれました。
撮影してきた男性への恐怖や不快感なんてどうでもよかったくらい、
彼女への感謝と尊敬の気持ちが胸いっぱいに広がったのです。
私の中にあった「見えない檻」
でも同時に、心の奥で小さな情けなさも感じていました。
もし私が彼女の立場だったら、果たして同じように行動できただろうか?
正直に言うと、答えはノーでした。
日本で育った私は、「波風を立てない」「人様に迷惑をかけない」ことを美徳とする環境で長く過ごしてきました。
その価値観自体は決して悪いものではありません。
でも知らず知らずのうちに、
「声を上げること=トラブルを起こすこと」
という誤った刷り込みが、私の心に深く根を張っていたのだと気づかされました。
今回の出来事は、私にとって大きな気づきの瞬間でした。
相手への敬意を忘れずに、必要な時に声を上げることは、決して悪いことじゃない。
むしろ、それが社会を少しずつ、でも確実に良い方向へ導いていく大切な行為なのだと。
たった18歳の魂が教えてくれたこと
後で知ったのですが、この勇敢な女性はまだ18歳でした。
多くの大人が「周りの目」や「面倒なこと」を理由に見て見ぬふりをしてしまうような場面で、純粋に「人を助けたい」という思いだけで行動した彼女。
その姿は、私の心に一生消えない光を灯してくれました。
その日、私は心に誓いました。
これからは、目の前に助けを必要とする人がいたら、必ず手を差し伸べよう。
性別や年齢に関係なく、「見て見ぬふり」という選択肢は持たずに生きていこう、と。
あなたにも考えてほしいこと
この話をここまで読んでくださったあなたに、ぜひ心の中で問いかけてみてほしいことがあります。
あなたは「正しい」と感じることを、周囲の目を気にして飲み込んでしまっていませんか?
「波風を立てたくない」という思いを優先して、大切な誰かを守る機会を見過ごしていませんか?
声を上げることは、相手を攻撃することとは全く違います。
相手への敬意を保ちながら、建設的な対話を心がければ、それはむしろ社会をより良くする尊い行動なのです。
勇気は、静かに伝染していく
今回の経験を通して、私は人として一つの大切な学びを得ました。
勇気は伝染する。
18歳の彼女の行動が私に勇気をくれたように、今度は私の行動が、いつか誰かの背中を押すかもしれない。そしてその人の勇気がまた別の誰かに伝わっていく。
そうやって、小さくても確かな変化の輪が、静かに、でも着実に社会に広がっていくのだと信じています。
もしあなたも同じような場面に遭遇したら、どうするか一度想像してみてください。
次にその瞬間が訪れた時、迷わず行動できる自分でいられるように。
心の準備をしておくだけでも、きっと違いが生まれるはずです。
この出来事は、私にとって単なるトラブルではありませんでした。
人として本当に大切なことを再確認させてくれた、かけがえのない経験でした。
そして今、私は「純粋な思い」に従って行動することの美しさを、心の底から信じています。
あの18歳の女性のように、私も誰かにとっての光になれるよう、これからも歩んでいきたいと思います。
最後に
あなたは、声を上げる勇気を持っていますか?
この記事を読んで感じたことがあれば、ぜひコメントで教えてください。
あなたの体験談も、きっと誰かの勇気になるはずです。
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