「自分らしく、心地よく暮らしたい」

そんな想いから日本を離れ、カナダでの暮らしをスタート。
感情と丁寧に向き合うこと、日々の暮らしの中で小さな幸せを見つけることを大切にしています。

このブログでは、暮らし・マインドセット・海外体験を軸に、
等身大の葛藤や気づき、そして心がふっと軽くなるセルフケアや行動のヒントを発信中。

誰かの「今」を照らす小さな灯りになれたら嬉しいです。

自分に優しくなる勇気—疲弊した心に境界線という贈り物を

満たされることのない感覚の正体

毎日を一生懸命に生きているのに、なぜかいつも疲れている。
頑張っているはずなのに、心が満たされることがない。
そんな感覚を抱えながら日々を過ごしている人が、今とても多いのではないでしょうか。

私たちの社会は、構造的に他者との比較をせざるを得ない仕組みになっています。
SNSで目にする他人の充実した日常、職場での評価システム、消費社会が生み出す「まだ足りない」という感覚。
気がつけば私たちは、自分の内側から湧き上がる本当の欲求よりも、外から与えられる基準に合わせて生きることに必死になっています。

そうして自分をすり減らし、疲弊し、傷つきながら生きている人が、あまりにも多いのが今の現実です。

余裕を失った大人たちが見失ったもの

子供の頃、誰もが自然にできていたことがあります。
「自分がされたら嫌なことは人にしない」「自分がされたら嬉しいことは人にもする」

—こんな当たり前のことが、なぜ大人になると難しくなってしまうのでしょうか。

それは、大人に余裕がないからです。

そして余裕がないのは、長い間自分の心を軽視し続けてきた結果なのかもしれません。

自分が本当は何を感じているのか、何を大切にしたいのか、どんな風に生きていきたいのか。
そんな心の声に耳を傾ける時間も余裕もなく、ただ外からの期待や要求に応えることばかりに集中してしまう。
そうして少しずつ、自分という人間の輪郭が曖昧になっていくのです。


「わたしはこんなにしてあげているのに」という過保護な愛

私自身も、まさにそんな状態に陥っていました。
会社員として部下の教育を任されていた頃、いつも心の中で繰り返していた言葉があります。

「わたしはこんなにしてあげているのに」

怒って何かを従わせるようなリーダータイプではない私は、優しく接することで部下を育てようとしていました。
でも、その優しさはどこか過保護で、まるで母親のような関わり方になっていました。
そして部下からは、反抗期の子供のような態度で応えられることが多くなっていったのです。

悩みは尽きませんでした。
どうにもできないことばかりで、どこに向かえばいいのかも分からない。
そんな時に出会ったのが「影響力の輪」という考え方でした。
自分の影響が及ぶ範囲内で一生懸命やり、影響力の外については、できることはしたという認識のもと諦める。

でも私には、人間関係においては「境界線」という言葉の方がしっくりきました。
他人と自分の間に適切な境界線を引くこと。
それによって、悩みに支配される状況の大部分をコントロールできることを体験したのです。

罪悪感という名の古い思考パターン

境界線を意識し始めた頃、強い罪悪感に襲われました。
「自分の責任を放棄してしまっているのではないか」「逃げているだけなのかもしれない」

—そんな思いが頭をよぎります。

周りの人たちは私の変化を推奨してくれていたにも関わらず、自分自身がそのマインドに慣れるまでには、随分と時間がかかりました。

今思えば、あの罪悪感こそが、長年刷り込まれてきた古い思考パターンだったのでしょう。
「自分のことを考えるのは自分勝手」「相手のために自分を犠牲にするのが愛情」
そんな思い込みが、私の中で強く根を張っていたのです。

役割を再定義し、お互いを尊重する関係へ

私は上司としての役割を再定義することにしました。
私と関わることで、相手に何を与えたいのか。
それを明確にし、それが達成できた時点で私の仕事は「完了」として、一歩引いた目で見守る。

役割を先に相手に明示し、「どこまで何をすればいいのか」をお互いに擦り合わせる。
そして適宜、質問や気軽なコミュニケーションを通して足並みを揃える努力をする。

すると、関係性が劇的に向上しました。きっと相手も、自分が信頼されていると感じられたのでしょう。
過干渉が裏目に出ることはなくなり、お互いを尊重できる関係が築けたのです。

部下との関係だけでなく、私自身の心にも余裕が生まれました。
「ここまでは私の責任、ここからは相手の領域」という境界線が見えることで、無駄に悩むことが減ったのです。


本来どのように生きたかったのかを思い出す

私が境界線を学んで気づいたのは、これは単なる人間関係のテクニックではないということでした。
自分という人間を大切にし、同時に他者も尊重するための、根本的な在り方の問題だったのです。

私たちは皆、本来どのように生きたかったのでしょうか。

きっと多くの人が、誰かと比較して優劣を競うためでも、外からの期待に応え続けるためでもなく、自分らしく、心地よく、大切な人たちと温かい関係を築きながら生きたかったのではないでしょうか。

でもいつの間にか、そんな当たり前の願いを忘れて、満たされることのない感覚の中で自分をすり減らすことばかりしてしまっている。
この疲弊は、決してあなただけの問題ではありません。
今の社会で生きる多くの人が、程度の差こそあれ同じような経験をしているのです。

自分に優しくなる勇気を持って

境界線を知るということは、自分の心が教えてくれる
「ここまでは大丈夫、でもこれ以上は辛い」という声に、ちゃんと耳を傾けるということです。

そしてその声を無視せず、
「私はここまででいい」「これ以上は私の責任ではない」「私にはこの関わり方が合っている」と、
自分を守る選択をする勇気を持つということです。

それは自分勝手なことではありません。
自分を大切にできる人だけが、本当の意味で他者を大切にできるのですから。

疲れた心に境界線という贈り物を差し出すのは、他の誰でもない、あなた自身です。
長い間軽視し続けてきた自分の心の声に、もう一度耳を傾けてみませんか。

そこから始まる小さな変化が、あなた自身を、そして周りの大切な人たちを、きっと救ってくれるはずです。

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