「自分らしく、心地よく暮らしたい」

そんな想いから日本を離れ、カナダでの暮らしをスタート。
感情と丁寧に向き合うこと、日々の暮らしの中で小さな幸せを見つけることを大切にしています。

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#1|“理想の恋人”に投影していた、わたしの〈欲望のかたち〉

他人に惹かれるとき、わたしたちは何を見ているんだろう?

かつての私は「恋人」という存在に、どこかで“理想の自分”を投影していたのかもしれません。

たとえば、落ち着いた雰囲気をまとう人、内省的で教養のある人、SNSから距離をとっている人。
そんな人を前にすると、安心感と同時に、「この人のそばにいれば、私も変われるかも」という希望のようなものを抱いていました。

でも、それって本当は“自分がなりたい姿”だった。
だからこそ強く惹かれたし、だからこそ苦しくなったこともあります。

今回は、私の「理想の恋人」像と、
そこに投影していた私自身の〈欲望のかたち〉について、少しだけ深くお話しします。

「理想の人」に惹かれた理由

私がこれまで惹かれたのは、どこか“自立”や“知性”を感じさせる人でした。

落ち着いた雰囲気と、内面への探究心のようなもの。
インスタアカウントすら持っておらず、自分の感情をあからさまにぶつけることもない。
まるで他人や世間と一線を引きながらも、どこかで静かに人生を見つめているような、そんな空気感をまとった人。

でも、あるとき気づいたんです。私が惹かれていたのは、
「その人自身」というよりも、「その人を通して自分がそうなりたいと思っていたから」だったということに。

“投影”という心のしくみ

心理学では、こうした現象を「投影」と呼びます。

ユング心理学では、「自分の中にあるがまだ認識していない部分(シャドウ)」が、他人を通して外に現れると言われています。
つまり、私が理想の人に惹かれていたのは、私自身が気づいていない〈自分の一部〉を見ていたから。

落ち着きたい、教養を身につけたい、自立したい。
でも、それができていない自分がいた。

だからこそ、無意識にそれを「持っていそうな人」を探し、恋心にすり替えていたのかもしれません。

内面に視点を向けた転機

過去、私は恋人に期待しすぎて疲弊した経験があります。

「こんな人だったらいいのに」「こうしてくれたらいいのに」と求めてばかりで、
相手が理想にそぐわないと感じるたびに、失望し、自分の価値までも下げてしまっていた。

でもあるとき、自分自身に向き合う時間を多くとるようになり、ふと気づいたんです。

「私が彼に求めていたことって、全部、自分で自分に与えることもできるんじゃないか?」

それから私は、少しずつ自分のために知識を得ること、感情をコントロールする術を学ぶこと、
そして、自分の時間を丁寧に扱うことに力を注ぐようになりました

そして出会った、いまの彼

そんなふうに、外に期待を向けるのではなく、自分の内面に集中していたとき。

私は今の彼と出会いました。

彼はSNSをやっておらず、感情の起伏も少なく、静かに話を聞いてくれる人。
趣味は読書や山登り、そして映画や歴史を辿るような旅。

以前の私なら、「こういう人と付き合えば自分も変われるかも」と思っていたかもしれない。
でも今は違います。
彼の在り方は、私自身が時間をかけて育んできたものと、どこか響き合っている気がしたんです。

つまり、「彼が理想」なのではなく、「自分が自分を育ててきた延長線上に、彼が自然に存在していた」ような感覚。

欲望は、否定ではなく対話の入り口

「こんなふうになりたい」という気持ちは、時に苦しみを生むけれど、
それは決して悪いことではないと思うようになりました。

むしろ、その“欲望のかたち”を丁寧に見つめることで、
本当に自分が何を求めていたのかが少しずつ見えてくる。

恋愛や他人への憧れは、自己否定ではなく自己探求の入り口。

そう思えるようになった今、私はこれからも、
自分の中にある「理想」や「欲望」に向き合いながら、自分という存在を深めていきたいと思っています。

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