他人に惹かれるとき、わたしたちは何を見ているんだろう?
かつての私は「恋人」という存在に、どこかで“理想の自分”を投影していたのかもしれません。
たとえば、落ち着いた雰囲気をまとう人、内省的で教養のある人、SNSから距離をとっている人。
そんな人を前にすると、安心感と同時に、「この人のそばにいれば、私も変われるかも」という希望のようなものを抱いていました。
でも、それって本当は“自分がなりたい姿”だった。
だからこそ強く惹かれたし、だからこそ苦しくなったこともあります。
今回は、私の「理想の恋人」像と、
そこに投影していた私自身の〈欲望のかたち〉について、少しだけ深くお話しします。
「理想の人」に惹かれた理由
私がこれまで惹かれたのは、どこか“自立”や“知性”を感じさせる人でした。
落ち着いた雰囲気と、内面への探究心のようなもの。
インスタアカウントすら持っておらず、自分の感情をあからさまにぶつけることもない。
まるで他人や世間と一線を引きながらも、どこかで静かに人生を見つめているような、そんな空気感をまとった人。
でも、あるとき気づいたんです。私が惹かれていたのは、
「その人自身」というよりも、「その人を通して自分がそうなりたいと思っていたから」だったということに。
“投影”という心のしくみ
心理学では、こうした現象を「投影」と呼びます。
ユング心理学では、「自分の中にあるがまだ認識していない部分(シャドウ)」が、他人を通して外に現れると言われています。
つまり、私が理想の人に惹かれていたのは、私自身が気づいていない〈自分の一部〉を見ていたから。
落ち着きたい、教養を身につけたい、自立したい。
でも、それができていない自分がいた。
だからこそ、無意識にそれを「持っていそうな人」を探し、恋心にすり替えていたのかもしれません。
内面に視点を向けた転機
過去、私は恋人に期待しすぎて疲弊した経験があります。
「こんな人だったらいいのに」「こうしてくれたらいいのに」と求めてばかりで、
相手が理想にそぐわないと感じるたびに、失望し、自分の価値までも下げてしまっていた。
でもあるとき、自分自身に向き合う時間を多くとるようになり、ふと気づいたんです。
「私が彼に求めていたことって、全部、自分で自分に与えることもできるんじゃないか?」
それから私は、少しずつ自分のために知識を得ること、感情をコントロールする術を学ぶこと、
そして、自分の時間を丁寧に扱うことに力を注ぐようになりました
そして出会った、いまの彼
そんなふうに、外に期待を向けるのではなく、自分の内面に集中していたとき。
私は今の彼と出会いました。
彼はSNSをやっておらず、感情の起伏も少なく、静かに話を聞いてくれる人。
趣味は読書や山登り、そして映画や歴史を辿るような旅。
以前の私なら、「こういう人と付き合えば自分も変われるかも」と思っていたかもしれない。
でも今は違います。
彼の在り方は、私自身が時間をかけて育んできたものと、どこか響き合っている気がしたんです。
つまり、「彼が理想」なのではなく、「自分が自分を育ててきた延長線上に、彼が自然に存在していた」ような感覚。
欲望は、否定ではなく対話の入り口
「こんなふうになりたい」という気持ちは、時に苦しみを生むけれど、
それは決して悪いことではないと思うようになりました。
むしろ、その“欲望のかたち”を丁寧に見つめることで、
本当に自分が何を求めていたのかが少しずつ見えてくる。
恋愛や他人への憧れは、自己否定ではなく自己探求の入り口。
そう思えるようになった今、私はこれからも、
自分の中にある「理想」や「欲望」に向き合いながら、自分という存在を深めていきたいと思っています。
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